うなぎの寝床
管理省力化で単一ページに書き連ねる
それにしてもスタイルシートCSSによるウェブサイト構築は難解を極める。HTML1や2の書き方で十分なのに、細かな制御のために肝心なことを素早くやらせてくれなくなっている。CSSの中身など、それを本職にする気概をもってあたらないと到底満足に扱うことが出来ないシロモノである。だって、かつては文字を中央に置きたかったら<center>でよかった。それだけだった。にも関わらず、この最高に使い勝手の良いタグを非推奨とかにして、恐ろしく難解なCSSの密林を何行も記述しなくてはいけない…それどころか、とにかく望み通りに上手く動かないんだこれがあ!
私は、<center>と<table>タグだけで、自分が必要とするウェブページデザインを完全に実現できていた。が、これをCSSで記述してちゃんと動く状態にするには、何度トライしても出来ず、最終的にChatGPTの登場を待たなくてはいけなかったのである。いや本当に助かります。てゆうか見てよこれ、同情されちゃったい。
(ちなみにこれ、divの子の要素3連続で理論上ちゃんと制御できるはずの場所が1-2か2-3かの塊でしかどうにも制御できなくなった事があった時。ChatGPTもお手上げとなって、最終的には全ての子要素に親を付けて汚らしい解決をしたときのやりとりである)
で。私が手を出せなかった間、ウェブページはどんどん高機能化して、企業によるウェブサービスがどんどん発達、コンテンツを囲い込み始めると同時に、個人サイトは化石となっていったのだ。
(中略。ITへの鬱憤が爆発して見るも無惨な愚痴になったので量子力学的に爆砕した。)
ともかくそう、企業によるコンテンツ提供者を囲い込んだ先に現れる問題。
それが、Xだ。
大投資家ウォーレン・バフェット曰く
「バカでも経営できる企業を探しなさい。いずれそういうのがトップになるから。」
で、バカじゃないにせよ、かき回すやつがトップになると、結局大惨事である。なーんーでー、Twitterという巨大なのれん価値捨てるのよ。でもって、競合だらけの一文字にするのよと。Xって、USスチールのティッカーシンボルだろ?アレだ、USスチールとセットで株価把握に使われてたベスレヘムスチールは、ゴールデンゲートブリッジの鋼材作った名門ながらも歴史の露として消えたのである。そしてUSスチールだって低迷を続けた。日本の鉄鋼業が超絶凄まじくなっちゃったからである。そんな米国鉄鋼業斜陽の雰囲気を示し続けてきたのが、Xなのだ。私にとってはその印象が凄まじく強い。ぜーんぜんいい感じしない。脱線した。
サービス名が残念すぎて嫌いなのだが、マストドンなるSNSの思想には全く同感なのである。だがな、とたんに複雑になる。ああいうのに関与する人生の余裕は持ってないよ。twitterみたいな決定打がひとつありゃ十分なんだ。が、そのTwitterが一人の男の野心によって、変えるべきではないところがゴリゴリに変えられていきそうな雰囲気しかない。そういうのは結局、他人にデータを握られている状況すべてに言えることだろう。世のクラウドサービスも試せる限り試してみたけど結局そうだったし。個人的には一番安定感を感じるiCloudをイケイケにホクホクで使ってたある日突然、iCloudが写真のタイムスタンプを好き勝手に変え始めたときには、究極のIT不審に到達した。
文字通りの根っこ、根幹部分は結局自分で用意しないとしっくりこないのだ。
そんなこんなで、自分のサイトを作り直しました。もとに戻した、というか。
個人サイト構築においてCSSのコーディングが足かせになってたって方、ChatGPTはメチャ使えますぜ。お試しあれ。歴史は繰り返すそうですし、ほら、個人サイト復権の足音が…、いや、空耳か。
EURUSD 09415($1.09415/€)
GBPUSD 48099($1.48099/£)
EURGBP 73867(£0.73867/€)
人間の脳内では、これが小数点を含む数字であることを容易に認識できるのだが、ノイマン型コンピュータでは超絶大混乱を起こすことは想像に難くない。
特にユーロドルでは、0.9か1.0に頻繁に移り変わった時期には1.を書く時と省略する時が入り乱れている。
さらには、自分でこうタイプして書き出すと、ユーロポンドとユーロドルの所在が混乱してタイプミスしたりする。脳内では、手書きされた紙面上のカタマリ印象としてもや~っと表記位置が認知されていて、もはや、それがどういう銘柄ペアなのかがどうでもよくなっているからである。けれど数字の印象はなによりも鮮明に扱われる。指を使って書いた数字とその要所が瞬時に暗算される。主目的は本質的にレッテルとは少し違うところにあるからだ。
コグニティブシステムは、人間のそういう…、コンピュータがブチ切れるであろう曖昧さをどう理解してくるのだろう。すっごく気になったのでメモしとく。
ワトソン「あの、ここ全角なんですが」
にんげん「うん、全角でいいよ」
ワトソン「じゃここも全角ですね」
にんげん「ちがうだろ!ここは半角なんだよ!!」
ワトソン「朕茲ニ戦ヲ宣ス」
そもそも、数字や言語というのは本質的には デフォルメ である。尺度、ともいえる。
タコメータになぜゲージという尺度がついているかは、エンジンがどの回転でどれくらいのエネルギーを発生させることができるかという目安を人間が把握しやすいようにしているためだ。が、その人間といえば、実際にはエンジンの音とか振動といった肉体的に読み取れるリアルタイム感覚に頼ったりする。それは、尺度、のようにブツギリのバッチタイム感覚とは異なる。そこでは尺度とは必須ではないのである。なぜならば、進行し処理されるべき案件は、尺度の存在を求める必要はない。ただただ、そこで進行しているにすぎない。案件は案件としてただそこに存在して、それをどう捉えるかというところからは完全に独立している。
数字や言語は、うつろう世界のあまたを人間が捉えやすくするために長い年月のなかで生み出され、人間と一緒に進歩してきた。同時にそれらは、時によく無視される。
コグニティブシステムはそんななかから自然発生したと言っても過言ではない。人の意志の要請をうけて作られたとはいえ、そんな人間の要請意志さえ、長い流れのなかでは自然発生に等しい。そして人はまた、それらを無視する日もやってくる。
コグニティブシステムは自身の誕生について、どのような見解をもつに至るのだろう。とても興味深く思っている。
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