束の間の、とても華奢な時代の狭間でしか生まれることのない精神、その気高い香りへの憧れ。平和への懇願には、もしや矛盾するその意味を、ただ、知りたい。
かつて、太平洋へ果敢な航海を挑んだ人々は、青海波の向こうにそんな幻想を見ていたのだろうか。

 

日本郵船 橿原丸

起工:1939/3
総トン:27,700G/T
全長:215m 垂線間長:153m 幅:20m 深:12.6m
主機:三菱ツェリーギヤードタービン2基2軸
出力:56,250馬力、設計速力25.5kt
尚この快速の為に、商船史上最初にバルバス・バウ(球状船首)を装備した船であった。Flak氏のご教授に感謝。

対米桑港航路、日本最大の豪華客船として計画されたその内訳は、それまで輸入に頼っていた主要設備や艤装調度品の徹底した国産品の使用、のみならず内装デザインの細部に至るまでの一貫した日本的演出である。それを任されたのは、日本を代表する建築家、中村順平、村野藤吾、渡辺仁、雪野元吉、網戸武夫らであった。際して、顔合わせを行ったのが京都嵐山という徹底ぶり。戦前日本のあらゆる粋を凝らした貨客船の最高傑作であったことは、三菱重工長崎造船所に今も残る内装デザイン画が記憶している。

そんな国力の提示、いわば国の自立の一歩を示す筈であった本船は、皮肉にも戦争で徴用される運びとなる。風雲急を告げ、建造の再に利用された大型優秀船建造助成施設補助金に内蔵されていた有事改造が発動。建造途中に海軍に買い上げられて、プロムナードデッキ以上を飛行甲板に、飛鷹型航空母艦2番艦、隼鷹(じゅんよう)となった。
そして戦争を必死に生き抜くも、しかし多くの被弾と機関浸水による致命的故障は本船の外洋航海能力を失わせ、客船に復帰することなく1947年には解体が完了したのである。

似た助成金によって生まれ同様な運命を辿った優秀船、新田丸級(新田、八幡、春日)の1等公室が、本船では2等に相当した等の逸話は、まさに歴史の幻に相応しく、その浪漫が成就するのは遙か未来、1991年に郵船クルーズの「飛鳥」(28,717総トン)が誕生した時の事である。その飛鳥も今年、旧クリスタルハーモニーを改装し船籍を横浜にした2代目となり、51,000総トン全長241mのラグジュアリークルーザーは、新しい客船黄金時代を謳歌している。

その二引きの煙突に歴史を秘めて。

2006/6/25

 


 

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